思わぬ恵み?
                〜 砂漠の王と氷の后より

        *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
         勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
 


赤道直下、若しくは南北の極点であれ、
微妙なそれながらも、
夏と冬とという、季節の違いというものはあるもので。
そこに長く居住していると、
ともすれば四季さえ巡っている地域もあると判るのだそうで。
自分たちが立つ大地が、
実は球体の惑星なのだということまでは知らねども。
暦の巡りに寄り添うて、風の香や色合いが変わること、
それが運ぶ気候の微妙な変化を嗅ぎ取っての、
先人が遺した知恵と照らし合わせて、
それはそれは巧妙な策や陣を敷いたことも多々ある賢王としては。

 「………、おや。」

その灼熱の気候から、
開放的且つ 風の通り抜ける構造の家屋が基本という土地柄。
だから…というだけでは拾えなかろう、それはそれは仄かな気配。
それこそ目には見えぬまま、
音もなく鼻先を渡る風に感じ取られたものか。
今現在の平穏な日々では、夜詰めからの申し送りが大半という内容の、
早朝の合議が設けられていた議場から、隋臣らに見送られて退出し。
ほぼ形だけじゃああるが、それも形式として必要という、
護衛の衛士らに先導されつつ戻った居室。
身支度をお手伝いする女官の皆様に迎えられ、
生なりの白いカンドーラの上へと羽織っておいでだった、
王族のしかも宗主としての厳かな準正装、
金絲による草紋刺繍の縁取りがほどこされた濃色のビシュトを、
部屋着のそれと着替えてのさて。
注意の要るような祭事や行事、視察の予定もなし。
勿論のこと、物騒な動乱や戦さの先触れ感じてのこと、
隣国との境までへの遠征が持ち上がるような、
不穏な気配もなしの、安寧安泰なままという。
幸いなことこの上もない、昨日の続きの今日ではあるが。

 「? どうかなされましたか?」

単なる世話係というだけではない、
実は政策への助言もなさる“政務官”扱いの特別な侍従。
も一つ隠したお顔はといや、
事情があっての形式的なそれだとはいえ、
覇王の第二妃でもあるという。
こうやって並べ立てると実は相当に恐ろしい身分でありながら、
とはいえ、見目はどこか幼いまんまという、
今でいう書記官、佑筆のヘイハチ妃が。
巻物や冊子などなど、
王による決済の御印の要る書類を、
やわらかな造作の双腕へ目一杯抱えて入って来た執務室にて。
そちら様は刳り貫きになってテラスに向いた大窓の傍らに立ち、
何処でもない漫然とした“外”を
わざわざ眺めやっておいでの覇王様だと気がついてのお声を掛ける。
怪しいものでもおりましたかと、
そういう気色の滲んだ訊きようだったため、

 「いや…。」

徒らに案じさせたなら不覚だったということか、
小さな苦笑混じり、特に未練もなく振り返ったカンベエであり。
肩越しの苦笑も特に変わらぬ穏やかなそれ。
ここに未熟な少女でもおったれば、
仄かに渋みの利いた、大人の男の精悍な頬笑みに、
居たたまれないような含羞みとともに、
ぽうと愛らしくも赤らんでいたかも知れぬ。
そんな相変わらずの男臭さや頼もしさを発揮しつつも、
そのまま執務に使っておいでの広い机卓の前、
重々しい作りの座に腰を落ち着かせてしまわれたのだが。
すたすたとした足取りでの颯爽とした身ごなしであられたというに、
そのまま、やはりそんな彼の所作を追い、
持参した書類を広げ掛かったヘイハチの手がふと止まったのは、

 「   あ。」

遠い潮騒のような、はたまた耳鳴りのような、
さあ…っという風鳴りの音が遠くから届いたかと思うや否や。
文字通りのあっと言う間に穹を翔って来たそれが、
まだまだ朝の気配を十分に満たしての爽やかに、
雲一つなく晴れ渡っていたはずの空と大気を、
あれよあれよと思う間もなく覆ってしまい。
最初の一粒の気配、
ナツメヤシの葉を叩いたらしき、ぱつりという堅い音が立ったそのまま、
ざざぁーっと押し寄せたは、大海原からのどよもしを思わせるほどの、

 「雨…ですね。」
 「ああ。」

南国特有、肉厚な葉の多い緑の梢を打ち鳴らし、
それは勢いよく降りしきる雨あめ雨。
この王国はその領土のほとんどが灼熱の砂漠地域じゃああるが、
だからといって、どこもかしこも一滴も水の降らない土地じゃあない。
王都周縁や近隣その他にも点々と、
熱帯ならではな植物も育てば、耕作の可能な土地もあるほどには、
緑や水の豊かな地域もあって。
その半分ほどは地の水脈やオアシスに支えられたものだが、
天水の恵みによる水場も結構ありはする。
確かに今現在こそ その領地も広大ゆえに、
そのどこかは常に雨に縁のある地域とも重なっていようというものだが。

 「それにしたって…この雨は。」

ヘイハチもその生国はもっと西の地。
しかも南端に海が迫るという土地ゆえに、
ここほど年中緑豊かとは言いがたく。
雨にしたって、
生まれてこの方見たことがないというほども、
極端に知らない訳ではないけれど、
それでも息を飲んでの見守るほどには意外な現象。
というのも、

 「雨季に入った訳でもありませんのに。」

砂漠や熱帯地方の雨は、決まった時期にどっと降る。
地球規模の大きな気流が運ぶ湿気や寒気やが、
この地の上空で混ざり合う時期がほぼ決まっているためで。
地上の気温と上空の気温との大きな落差がそこへと関わってのこと、
降るとなったらすさまじい勢いの驟雨がお目見えするのが、
この地での“雨”なので。
今日の今、突然振り出したこの雨は、
恐らくは誰にとっても 文字通りの予想だにしなかったそれ。
今でこそ、心地のいい涼しさの中、
濡れた土のつんとする香りの入り混じるしっとり湿った大気を、
室内にいても肌へと感じるほどだけれど。
よくもまあ カンベエはその先触れへ気がついたなぁと、
空中の湿気や金気を嗅いだのだろう感覚の鋭さへ、
感心する他はないヘイハチだったりし。

 「…そうか、陛下が珍しくも朝一番の合議へ出られたから。」
 「言うに事欠いてそれを持ち出すかの。」

ぽんと拳で平手を叩いてという、
いかにもな納得の様子を見せる赤毛の女政務官だったのへ、
おいおいとその目許を眇めた覇王陛下だったのも。
此処までは“他愛ない冗談口”という級のやりとりだったればこそのこと。
覇王しかいない場であるからとの特別に、
ヒジャブもヴェールも掛けぬままの素顔をさらし、
にっこり微笑った第二妃にしてみても。
畏れ多くも覇王様の行いが、
珍しかったから雨を降らせただなんて、
本気で思ってなぞいなかったワケだったのだけれども……。





      ◇◇◇



 そこはそれ、王宮の内部という場所柄もあってのこと、王家や王政へのあからさまな叛意や、もっと根源的な人性や品格やらを疑うような言動こそ窘められてしまうものの。それ以外にはさしたる拘束も罰もなく。
時々は背条の伸びるような波風や、厳粛な空気も訪のうこととてありつつも。それぞれにお仕えする妃様への尊敬の心をおろそかにしないことという信条を核に、退屈しない程度の緊張感を感じつつも おおむねそれは朗らかに伸び伸びと、日々 明け暮れるところなものだから。

 いくら不意を突いた雨だったとはいえ、
 こうまで意外なことを起こそうとは……と

 後になっての取り沙汰でも、こんな話は前代未聞と。珍しい気候の巡りは、つくづくとロクなことを招かないという語られようをしたもので。


 「? …何の声でしょね。」

 不意な驟雨に驚かされつつも、それこそ乾季の末も末、たとい延々と降り続いたところで、王都を支える水脈をあふれさすほどの脅威へまではなるまいと、その蓄積からそうと断じた覇王様でもあり。思わぬ熱冷まし、涼みの風と受け取って、決済のあれこれへと眸を通し始められたの見やっていたヘイハチが、今度は先に気がついた気配があって。何も極秘でなければ取り掛かれぬ種の事案をばかり扱っていた訳ではないが、ヘイハチが女であることを隠さぬままに政務をお助けしていること、事情が通っている顔触れはごくごく限られてもいるものだから。火急の伝令なぞが飛び込んで来たならば、見知らぬお顔の女性を引き込んで、覇王様が良からぬことをという現場になりかねぬ。いやまあ、事情を知らないほどの下々であれば、口をつぐませる手も幾らでもあろうものだが……。

 “じゃあなくて。//////”

 そうでしたね。どんな誤解から浮名を流されても今更動じはしないだろう、厚顔なおタヌキ様こと覇王様はともかく。要らぬ誤解をされてはたまらないのは、許婚者との再会果たしたばかりの第二妃様の方でした。(うんうん、ヲトメだもんな)そんなせいもあってか、室内へと届く気配についつい注意を払ってしまうのも当然の習慣だった彼女だが、

 「これは…。」

 そういった火急の報告や他の政務官からのお知らせだのを持ち込む方向、政務関わりの出入りがあろう、文字通り 表向きの合議場や正面門のある方からではなく。

 「隠しの側からのようだの。」

 そちら様も、書類への通読を止められてのお顔を上げて、物音のする壁のほうを見定めておいでのカンベエ様で。覇王様の執務室ともなれば、国策を記した重要案件の書類もあれば、それより何より、尊い玉體(ぎょくたい)のおられる空間に他ならぬため。何となれば、潜入して来た敵の刺客へ肩透かしを食わせるべく、廊下へ出ずとも移動が可能な抜け道も準備されてあるのだが。

 「この隠しは、ですが…。」

 カンベエの目串に誤りはなく、確かにその位置にある“隠し”からの物音だと、ヘイハチも気づいたものの。そこを伝ってこっちへ来るというのは、正面切ってという突撃を仕掛けて来るより数倍も難しいルートだと。それが不思議と、怪訝そうなお顔になった佑筆殿で。とはいえ、現実を前に“そんなことあり得ぬ”という無為な駄々をこねても始まらぬ究極のシーンだという切り替えは、しっかりちゃんと出来ていて。誰ぞに見とがめられたら“女官だ”と言い抜ける手前、ヒジュラもヴェールもかぶってはいない素のお顔なのに合わせてのこと。その身へまといし装束も、肘までの袖がついた内着にやや地味な柄織りながら、目が詰んでいて丈夫な更紗のトーガを重ねたものという、機能優先の簡素だが動きやすい装いであり。よって、実は帯の背後部分へと挟んでいた短刀を、鞘だけ残しての抜き払い、両手もちに構えた勇ましさは、他の妃らの行動力に決して引けを取ってはない頼もしさであったのだが。それでも、微妙に…緊迫の度合いを低く意識していた彼女であったのは。そこから飛び出して来るだろう存在への予想のようなもの、多少は甘く計上していたからで。

  だって、その隠し通路は、

 雨に紛れてもぐりこんだ刺客や敵襲が、まずはそっちから来ることはなかろう、最奥の内宮へと続く扉なだけに。

 「大変ですっ。ヘイハチ様っ、すぐにもお戻りをっっ!」
 「シノさん。シチさんに何か?」

 全速力で掛けて来たらしいそのまま、漆喰の壁に一体化していた小さなくぐりの扉、よほどに要領の心得もあったかスルリと鮮やかに開けて飛び出した彼女こそ。第一妃の傍づかえ、あの聡明で機転の利くシチロージが最も信頼を寄せてもいるという、才色兼備の侍従、シノという少女であり。此処よりずんと北方に悠久の歴史を刻む王国にて生まれ育った、文字通り生え抜きの王族、しかも滅多に国から出なかったというほどの深窓の令嬢でありながら。若いうちには豊かな知識と深い思慮をたたえられ、長じた今は柔軟な思考を兼ね備える賢婦人でもある彼女の意を、寸分違わず掬い上げ。軽々しく動けぬ妃に代わり、的確に実現させることへ必要な才をなみなみと持ち合わす、文武に長けた働き者であること、別の宮を預かるヘイハチも重々知ってはいたけれど。そんな彼女が単身、しかもこうまで息せききっての行動をとるとはただならぬこと。まさかまさか、彼女がお仕えしているあの紫の宮様の身に何か…と案じたものの、

 「いえ、あの…。」
 「さようさの。
  それだったなら、
  儂へも筒抜けとなるこんな方法で呼びには来るまい。」

 少女の一瞬の躊躇を横ざまに掻っ攫うよにして、覇王様が深い声をお出しになられ。お主の一存、しかも動転していてのことであれ。そして、あのシチロージが具合を悪くしたというのなら、尚のこと。お主が儂への注進にと駆け出さぬように、その手を取って離さぬのが順番だろうて…と。気丈にも程があろう第一妃の気性を最もお知りの覇王様ならではな推測を述べられてから、

 「むしろ、出来ることなら儂に来よと言いたいシチと見た。」

 述べながら既に席を立っておいでのカンベエで。呆気に取られていたヘイハチが、はっと我に返ってのあわわとあちこちを見回し。壁に作り付けのクロゼットへ飛びつくと、お渡りのときの深色のビシュトを掴み出し。既に隠し扉のその奥へと踏み込んでおいでの大きな背中とそこへかかる豊かな髪の裾を追って、後へと続くよう駆け出した物音も、外でそぼ降る雨の音がすっかりと吸い取ってくれていたようでございまし……。


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